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むらじぃ

2015年06月23日

慰霊の日 戦時下の沖縄戦の気象観測データ

 慰霊の日。70年目の慰霊。今年は中継を聞いていて違和感を禁じ得なかった。式典の中での指笛、野次。政治集会ではない、先の大戦での亡くなられた方々への慰霊なのだが。残念な慰霊の日だった。


 沖縄戦の歴史の中、当時の天気の状態はどうだったのだろうかって気にしていた。当時の米軍の撮影した記録フィルムを見ると、晴れ間もあったが、相当な土砂降と地面が泥濘。塹壕も水浸し、泥濘の中での戦闘。泥沼の中に落ちた爆弾や砲弾も、土中に深く突き刺さり信管が作動せずに、そのまま不発弾となった。


 戦時中の天気予報は、国家の重大な軍事機密扱いとなっている。1944年6月6日の欧州戦線でのノルマンディ上陸作戦の可否を巡る際に、気象予報が重要な要因となった。連合軍側は、6月5日から6日の午前中までは一時的に天候が安定することが予想されたので、アイゼンハワー欧州軍総司令官は上陸作戦への命令を発した。守る側のドイツ軍は当分の間、ドーバー海峡には低気圧が発生し、荒れると判断した。その結果を聞いてドイツ軍のロンメル将軍は、前線指揮所から独逸本国に一時帰国した。なんてことがあった。

 さて、沖縄戦については資料がありました。気象研究所の筒井祐次さんの論文だ。タイトルは「沖縄戦下における那覇の気象」だ。http://www5.ocn.ne.jp/~dustmoai/okinawa1945.pdf 記録の中には、6月5日に台風二号が沖縄本島南部を通過したとある。気温は4月で最低が12℃、最高が24℃。でも4月30日は6時で19℃、18時で晴れ、気温は33℃。翌日の5月1日午前6時で22℃、18時で23℃。さすがに6月になると観測した記録が散逸しているが。6月20日18時で21℃。観測記録が途切れているのだ。


 激戦の続く中での気象観測。そのデータを東京に気象観測データを送信していた。真空管の時代だ。発電機は手回しだったかも。いつの時代も記録を残すことの重要性を痛感。


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Posted by むらじぃ at 17:49│Comments(0)ひとりごと
 
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